のために彩色画を軽蔑してゐるといふのではない、事実彩色もしてゐるのである。青や紫を使つてゐても、大智氏の場合には、その色彩を墨色と同様の扱ひをする、墨以外の色を、墨の扱ひのできる作家といふのは、日本の画壇にはさう沢山はゐないのである。だがこゝで誤解を避けなければならない、それでは大智勝観氏は『黒』の作家であるが、私はこれまでの文章で、ただの一度も大智氏の[#「の」に「ママ」の注記]『黒』の作家などとは言つてはゐないので、その点を曲解されては困るのである、『墨』の作家だとは言つてゐるが『黒』の作家だとは言つた覚えがない、それでは『墨』は『黒』ではないのか――さういふ疑問も起るであらう。
そこで私はさうした疑問をもつ人に斯う答へよう『まさに墨は黒にちがひない、しかし墨は色ではない――』と、私のいふことは何と屁理窟に聞えないだらうか。しかし大智勝観氏は私と同じ意見をもつてゐるといふことを此処で伝へたいのである。
大智氏は黒は色の部分に編入されるが、墨は色の世界から除外して欲しいといふ意見をもつてゐる。こゝで通俗的な例をあげると、小学生の八色とか十二色とかの水彩絵具の中には『黒』はあるが『
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