墨』とはなつてゐない。こゝまで述べてくると、どうやら墨と黒とが別なものだといふことを薄々理解してもらへるだらう、しかしその事は格別に私の発見でもなんでもない。そのことを理解してゐる人にとつては私の意見などは平凡な説にちがひない。しかし私はこゝで墨の論を説くのが目的ではなく、一人の作家が全く『墨』の精神を拠点として仕事をしてゐるといふこと、その作家とは大智勝観氏であるといふこと、この兎角に黙殺的な待遇をうけてゐる作家の作品の本質が墨にあるといふことを、ここで強調する機会を得たといふこと、つまり私は一つの墨の理論の発見をしたのではなく、墨の精神の保持者の発見といふ点で、それは一つの発見に違ひないと信じてゐる。この墨の精神とは目下ずるずるべつたりに前進してゐる日本画壇の方向に対して、一つの、『日本的本質』の問題の提出といふことになると思はれる。
 墨が色でないといふ考へ方に、もう一つを加へて、大智氏は『金』を取りあげてゐる。墨と金は、色彩の分布の範囲を超えて存在する。精神的なそれであり、その強烈で物質的なことは、他の色と名附けられてゐるものと、全く異つた作用をするといふのである。墨や金泥は全
前へ 次へ
全419ページ中99ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
小熊 秀雄 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング