ない、一作毎に加へられてゐる新しい試みは、時には露骨なほどに、その新しい計画を誇張してゐる作品さへ見受けられるのである、世俗的には作風の動揺といふことは、其作家の地位の動揺といふことと同意語であつて郷倉氏の場合は、それに反して作風の動揺を引つ提げて、こゝまでひた押しに押し切つてきたのである、それはむしろ奇蹟的な感じさへ与へる、作者が自分の画風といふものを変へずそれに安定感を与へるといふことは、世俗的には得策なことである、それを敢てせず一作毎に飛躍を求め、必然的に現れてくる作風の変化を怖れないといふ態度は、作家の勇気と呼ばれていゝ性質のものだ。同時に郷倉氏自身が自己の実力といふものを確信して仕事をすゝめてきたからでもあらう、作風の動揺の底に失はぬところの『実力』が郷倉氏の現在を、社会的保証の中にをくやうになつたと解すべきであらう。
 作風を変化させるといふ勉強の方法を求めるといふことは、実力のないものにとつては最も危険なやり方である。西洋ではピカソがカメレオンと悪口を言はれた程、画風を変へてきたが、彼が今日の位置を保つてゐるのは、彼の本質的な実力が、最後的勝利を得たからである、郷倉氏の作
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