活では極度に神経質だが、作画上ではその片鱗さへ示してゐない自然人的素朴さである、そこに彼の作品の特長もあり、今後に対する期待もかゝるといふべきだらう。
 加藤氏は自然観察が如何に難かしいものであるかといふことを、今にも泣き出したいやうな表情をしていふ、小鳥の性格の分類や、小鳥が野に居たときどういふ生活環境をもつてゐたかといふことまでも、知らうとする、彼の慾望はなみなみならず高いものがある、三越の新進作家日本画展に「山桜と瑠璃鳥」の絵を出品したが、その絵は雅味を帯びた瑠璃鳥の柔らかな平和そのものの姿であつた、彼は後から知人の小鳥通が来て「瑠璃鳥には非常に精悍な気性のものがある」と話がでた途端に、彼はシマッタと思ふのである、瑠璃鳥の性格を柔順なものとばかり考へてゐて、もつと突込んだ鳥の性格の観察に見落しのあつたことを、彼はたつた一人で自分の頭を抱いて天地に恥ぢるのである、さうした良心的な態度の良さが彼にはある、また一種の摂取型の作家で、画に対してどんな門外漢の言葉でも、それを充分耳傾けてをつて自分のものに摂取するといつた謙遜さもあるのは良い処だ、大臣賞の作品「薄暮」のやうなふてぶてしいスケ
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