るかとか、どの程度に伸びるかとか、予言的なことをいふことは殆んど不可能だ、またさういふ批評態度はむづかしい、その理由はかうだが、加藤氏に逢つた感じの人柄と、その書かれた絵とが殆んど反対の立場にあるといふ印象を受けとる、殊に彼のしやべつてゐる話をきいてゐると全く懐疑主義のやうで、絵に対しては良心の塊りといふ感じがする、どこにものんびりした感じがなく、神経質である上に、変な形容だが、神経や心理の「場面変換」がなかなか激しく細かい。彼は言ふ「風景などの動かないものを描いてゐて、近頃は小鳥が好きになつてそれを勉強してゐますが、ちよつと勝手が違ひますね、小鳥はチョコチョコと動いてちつともじつとしてゐない、しまひには、あんまり動きまはるのが憎らしくなつて、こ奴殺してやらうかと思ふことがありますよ――」いふことがすこぶる気が短かい、だから彼の言ひ草だけを丸呑みにすると、今後は神経質な画風にすすみさうである、しかし一昨年の文部大臣賞を獲得の、新潟の海で描いたといふ「薄暮」が示すやうに、作中の牛の悠久たるさま、彼の作品の図太い神経の丸味は、彼の性格のどこから来てゐるかちよつと疑問に思はれるほどだ、日常生
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