て楽な画材に求めずして、とかく黙殺され、顧みられもしないやうな、自然の一隅にある雑草をさへ、或は小さな樹の枝などの運命の姿を見極めないでは済まないといつた態度にすすめてゐることは敬服せざるを得ないのである。もしこの写実態度を自然物ではなく人間社会に当てはめた場合には、描写の細かさは、人情の機微の細かさに当てはまる、私が桂月氏が人情家であるとかないとか断定的に言ひ得たのも、氏のさうした作品の手法上の態度に現はれたところから言つたものである。自然観察の粗暴な作家が多い折柄に私は松林桂月氏の綿密な写実精神と自然対象に対する作家的愛情といつたものを支持したいと思ふ。
『花宵花影』(紐育万国博出品)のやうな作品では、我々は時代的に世代的に、これ以上の日本画の伝統と写実的手法の継承者といふものを、松林氏以外に他にもとめることが不可能だと思はせた作品であつた。殊にその作品が対外的な意味をもつてゐるだけに、松林氏をその出品者の一人に求めたといふことは適当な選であつたと思はれる。紐育博の出品顔触に対しては、その作品は当時問題にしようとせず、人選を兎角の問題にしたやうであつたが、あゝした海外に送るといふ特
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