作品から受けとられるものは、松林桂月氏は非常に人情家だといふことがよくわかるのである。竹、蘭のやうな長い葉、曲りくねつた松の枝、名もない雑草、木の実、蔓草、これらの自然物は、到底絵にもならないやうな状態で、混み入つた生活をしてゐる連中なのである。蔓草が竹にからみついてゐると、竹は松の木の枝と枝との間に体を押し入れて、その先端をふるはしてゐる。そこの隣りには木の実があつて枝は竹にもたれてゐるといつた、これらの自然の生活者達は、風露の中を生きぬいてきた、弱さ強さを露骨に示した始末にをへない、手のつけられないやうな混み入つた連中なのである。もし桂月氏に作家的愛情がなかつたなら、これらの樹木、雑草、鳥類たちはそのあまりに互に錯雑として生活してゐるといふ意味で、画題としては決して画家に喜ばれる連中ではないであらう、もつと見た儘で絵になつてゐる自然そのものが画家の労力を節約してくれたやうな、整理された画題の自然物は他にいくらもあるのである。画家がたゞそれを写生さへすれば、画面も整理されてすつきりするやうなものもあるのである。然るに松林桂月氏の場合は、その写実精神と氏の技術的密度の高さの一致を、決し
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