る。
 桂月氏の作品のうちの『この雪に爺や何処より帰り来らん――』といつたホロリとさせる作品は、古い南画フワ[#「ワ」に「ママ」の注記]ンの共通的なホロリとさせるところなのであつて、決して新しい時代に承認させる何ものもない。老年輩者が俗によく言ふ人情に脆くなるといふ意味は、さうした意味の感傷性がそれである。その感傷性は老い先の短かい人間が、感情の余燼としてやつとの思ひで取り戻すことができた、感情の小さな興奮なのである。日本画家のうちでもつとも現在活動的な作家には、年輩を超越して、この種の老年の感傷に捉へられてゐるものは全くない、沢山の日本画家が現はれて、その大部分が没落してゆくのは、人間の感傷性を作品に加へて或る期間はそれでも済むが、永い期間には、その感傷性そのものに敗北してゆくのである。松林桂月氏の作品の個別的には、その感傷に敗北してゐる作品と、それを克服してゐる作品とがあるが全体的には桂月氏の作品的な温情は、その写実態度の冷酷な中に、隠されてゐるやうな作品で優れたものが多い、人物にかはるに鳥類をもつてきた場合に却つて低い感傷は消えて、高い感情が画面に溢れてゐるのである。
 これらの
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