さてあの無数の展覧会の出品の中に人間を離れた一個の芸術品として、総ての他の画家の作品と肩を並べて位置し観賞してみるがよい。大観といふハンディキャップなしに周囲のものと較べてみたらよい。残念ながら『光つてゐる』だがその光り方が一つの問題である。画壇人の中でも大観の作品に何らかの威圧を感じてゐる人もあるだらう。或ひは一顧の価値をも認めないと広言し得る者もあるだらう。さてしからば具体的にその理由を語つてみよと言つた時にはおそらく説明ができないだらう。以上は同業画壇人への言葉である。
 次にかゝる絵の専門家ではなくいはゆる絵の筆法や色彩に良心的な観察などを働かす余地のない、いはゆる単純にみて感動し、単純に誹謗する一般の人々はどうか。こゝで僕はすべての一般人が大観の絵に非常に感動させられてゐるとはつきり言ふ事が出来る。そして何故一般人に大観の絵が何故よいかといふ質問を発した場合に絵かきに問ひを発した場合よりハッキリと『解らない、たゞ何となくよい』と答へるだらう。そこに大衆に支持される理由があり、ここに商品的価値を高めさしてゐる原因もある。大観の『月明』は松の描写が稚拙といふよりも粗雑に類する描き
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