はあるが、もう葉が一枚画面の空間に描かれてあればこの絵は百円違つたのだがと画商をして平然と言はしめてゐる。つまり労働の量、葉を一枚多く画いたか否かといふ事が商品的価値の上に大きな作用を生じさせてゐる。そこで心得た画家は弐百円の竹、五百円の竹、千円の竹といふ事の価格的な価値を手間賃に換算して或る時は筆を入れ、或る時は筆をぬき、時にはおそろしく密画を画くことも心得てゐる。これなどは明らかにハッキリとした芸術品の手間賃だと言へるだらう。その場合その絵画の価値といふものは金銭といふ形式などに於て定められてくる。しかも芸術家の人知れない苦心などゝいふものは商人にとつては関心事ではない。特殊な技術性も認められずたゞ商人の頭の考への中には金銭的、数字的思索を発達させるだけである。芸術家の唯一の誇ともいふべき所の絵画への真、善、美なるものは全くその基準を失つてゐる状態である。今回の三越日本画大展覧会の中の絵を例としてみてもハッキリしてゐる。例へば横山大観先生、二尺五寸幅横物『月明』と題するものをみても明瞭である。横山大観が何故いはゆる大観王国を形成するほど勢力があるか。彼の画壇的政治工策の事はおいて、
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