駄を作つてゐるやうな馬鹿者はゐないだらう。それは商品の為の商品でありいはゆる職人である。だが画家の場合は、下駄職人と違ふ点は、善と正義観といふ道徳的な意識が余計に加へられてゐるといふ意味に於て下駄職人と一緒に出来ない。
 だがもし下駄同様作品の美のみ追求して正義観や善を作品の世界へ主張する事が出来なくなつた場合は、デパートの一般商品と同じ立場になる。おそろしいのは商品性である。
 デパート展の方針は明らかに善や芸術家の正義感を売る事を考慮に入れてゐない。そこでは良心的な美術鑑賞家を目標にするのではなくて他の商品の顧客者をその儘美術品へ移してゆけば、デパートの目的はそれで充分なのである。そして漸次的に自分の作品が売れて欲しいといふやうな追従心がます/\画家の作品へ濃く現はれざるを得ないではないか。しかもこの商品としての美術品は画商の世界に於てもすでに芸術品を商品的な侮辱の下に扱はれてゐるといふ事はハッキリしてゐるので、いかに手間をかけたかといふ事つまり労働力をだすその時間的な長さも既に商品的な価値の部分へ繰り込まれてゐる。その証拠には某大画伯の水墨の竹、それは非常にあつさり画かれたもので
前へ 次へ
全419ページ中277ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
小熊 秀雄 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング