としての流れやスタイルを造りあげるといふ場合が、実に多いのである、殊に旭川の美術界がある岐路にあり母体であり発足である現在では、現れた審査の標準といふものに、選者は絶対な責任をもたなければならない、若し今後美術協会風なる、一画風を形づくるやうなことがあつたらずゐぶん可笑しなものだと、選者諸君に一言を呈す。
で今度の画会を見て感じたのは質の点から純なものが少数で、小手先の巧者揃だといふことだ甚だ失礼な申分だが、同人三君の絵はよくあれで臆面もなく出品されたものだと思ふ、僕はむしろ同人以外の新進の連中に好意を懐く、もつとも同人なる名は、一団体の主要なる人々の代名詞であつて、芸術の優劣を意味し評価するものでないことは無論だが、他人の作品を取捨する選者となつた場合には自ら其処には責任を生じてこなければならない。そこで同人諸君に希望するのは後輩の手前もあり責任上、欺瞞だらけの画布は捨て素晴らしいものの出品を期待してゐるといふ僕のいはなくてもよい憎まれ口をいひたくなるわけだ。
▲佐藤熊蔵君 『早春雨後』に肉迫する何物かがある、この筆者が客観的な現在の正確さのままで進めて行つたら、きつと大きな
前へ
次へ
全419ページ中222ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
小熊 秀雄 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング