講座で『南画の話』をしてゐて、いろいろと簡単に南画の初学を解いてゐたが、その最後にもしなほ研究して山水花鳥にまで進み度い人は、有名な書『芥子園画伝』でも参考するがよい――といはれてゐる。桂月氏のいひ方は、古いいゝ手本があるから参考にせよといつた軽い意味の言ひ方であらう。
 しかし専門的な言ひ方をすれば、伝統のうまみを知るには、一冊の『芥子園画伝』よりも、一人の生きた松林桂月氏の方がはるかに研究対象となり得るといふことができるのである。日本画壇では、他人の作品の批評に忙がしく、また画集からの摂取で忙がしく、現在生きて活動してゐる『画集』を正統に視るといふことをしないやうだ。こゝに松林桂月といふ生きた画集があり、大観といふ生きた画集がある古径といふ生きた画集がある。日本画といふものが充分値打のあるもので、後世に伝へなければならない性質のものであるとすれば、その伝承の過程に死んだ画集を問題にするよりも、生きて現在活動してゐる画集をもつて問題にしなければいけないやうだ。大観や古径や、桂月や、其他の伝統的な仕事を固守してゐる作家に対し、一口にそれを古いといふことは簡単である。しかし後進者たちは、
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