酔ふことを極端に嫌悪した従来の秋田氏としては破天荒な変りやうと言はれるだらう、氏の視覚の歓喜と波動せる心の影は自然に対して従来のメスの鋭さから現在同情にあふれた瞳に化してゐるのは僕の祝福にたへない傾向だ。ところが尚以上の数点の『変つた絵』を氏の最後を飾るものではないと断言できる。それは画家精進のたんなる序曲であるが終曲ではないからだ『南京奏准の妓館』や、『蘇洲風景』などはある意味の悪趣味に違ひないし『金瓶梅※[#「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2−13−28]画』あたりも骨休みである。矢張りこれらの先走りのものより何程秋田氏の過去の仕事から脱しきれないものであり稀薄な位置にあるものとしても『万里の長城』『西湖』の作風こそその底に永久動かすことのできないものが一派として残つてゐるのではないか。
 この浄化されこれら詩趣に立脚して次の仕事美学上の公理やまた方式などを全く忘れた秋田義を期待するそして『万里長城』などのともすれば黙殺され勝ちなものから現在プログラム外出品の『蘇洲城裏』『長江夕映』『長江遠望』などの仕事を産んだことは実に素晴らしいではないか。
 僕は秋田氏の作品
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