がつてゐてもお構ひなしに以前のやうな日射病とテンカン病で一生を終つて下さいと涯かな北国の君の恋人達を代表して僕が躍気でメガホンを鳴らすゆえん[#「ゆえん」に傍点]である。
 二十八番の『花』や『アネモネ』『カネーション』などに大分共鳴者があるやうだ『市街』なども同様嬉しがられてゐるらしいが真実に大森氏に友愛を感じてゐる者の言ふことではないこの誤れる讃辞こそ岐路に立つ大森氏の首くゝりの足を引張る者である、一昨年の『南の街』及び今度の『原宿風景』の自然に対する純情な感覚の躍如とした境地に精進してゐたなら必ずやモヌメンタールな仕事に到達完成されることを疑はないのである。
 大森氏の『南の街』の画風をして未来派だらうと評した男があるがそれは嘘だ、氏は真正真銘[#「真正真銘」に「ママ」の注記]の写実家である、歪んだものをさへ見れば未来派だ表現派だといふ愚な言である、氏の筆觴の生動しちよつと粗豪な行き方を見ての誤つた観察であり、近代精神文化の独立した一部門としての未来主義思想は別なものであることを知らないのだ。大森氏の芸術はかゝる「顔を歪めた芸術」とは別個な思慮深い写実主義に立脚してゐるものと断言
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