る存在として優れたものであるが、「飛泉淙々」に於ける、調子の美しさ、「雨後」のデリケートな細密描き、「暮春」に於ける空間の巧みな描写、その風景の歩みかたは、粗に見えて密、また密に見えて粗といふ甚だ味のある全体的効果をあげてゐて、その意味では風景画に於いては独自な境地を開拓してゐるといへるであらう、しかし世間では、児玉希望氏の仕事の移り変りに気をうばはれて彼の風景画の佳さには、案外に心をとめてゐないやうである。風景、それから花鳥、そして人物、それから美人画といふ風に最近では新しい方向のものに手をつけてゐて、その動きの躍進的な転変極りない行き方は、観賞者をして希望は一体何作家なのか、何を専攻する作家なのかといふ感想も抱かせる、今更、児玉希望は美人画でもあるまいといふ風評も立つのである。
然しながら私は希望のこれらの浮気な仕事を決して悪意的にとることができない何故なら、その仕事ぶりをみても、かなりに実験的な作者の態度がうかがはれるからで、作者はきつと後日これらの実験的なものを他の型のものに生かすときがあるだらうと信じるからである。第二に希望氏の年齢が幾歳だかといふことを考へてみたらいゝ、希
前へ
次へ
全419ページ中212ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
小熊 秀雄 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング