である、児玉氏の画壇的動きを指して智略無比などとは言へない、また希望氏はたださうした風に見える開放性な性格をもつてゐる、そのやることはむしろ無邪気な結末をもたらしてゐる、心から画壇が好き、画が好きだといふ印象をうけとる、したがつてそこで動く希望氏の政略性は陰気な形をとるよりも、他人の噂に乗るやうな、あけつぴろげた方法なのである、希望的性格づけを数へあげると、気魂、豪放、熱、などであらう、いかにも彼の作品や、動きは、これらの要素の上に形成されてゐるが、しかしこれらの大まかな方法は、希望の絵の出来を成功させてはゐないので、彼もまた体の巨大な人が、思ひのほかの「細心」な神経をもつてゐるやうに案外神経の細かさをもつてゐる。この細心さは希望の所謂大まかな放逸的な仕事の中で作用してゐるために、彼の作品は鵜の毛をついたほどの油断もないといふ状態をもたらすのである。
希望は現在、一つの慌ただしさの中にゐるやうである、それはたしかに年齢的な転換期ともいふべきものであらうし、絵画的な転換期ともいふべきものであらう。「飛泉淙々」とか「暮春」とか「雨後」とかは、希望の風景画家の出発としてこれらの作品は堂々た
前へ
次へ
全419ページ中211ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
小熊 秀雄 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング