かういふ「やつぱり」などといふ言葉を頭につけて希望礼讃する人は、それまでは、児玉希望に対しての懐疑派か、否定的な人か、薄弱な意味での支持者かであり、すぐれた問題作を見ては、希望の認識を新たにするといふ立場の人である。画壇的工作が評判を悪くするといふことは、ただだまつて絵だけを描いて居よ――といふことになる、そのことは単純には受けいれることができない、ただ沈黙して絵だけ描いてゐたら、滅びてしまふやうな世界であつたらどうであらうか、児玉希望氏は、その点で叩きあげてきた人であり、人生のコースといふものが大体どんな機構を辿るものであるかといふことを、よく知つてゐるのである、彼が苦労人である理由が、彼が沈黙だけで終らない理由である。その点は伊東深水氏もまた希望氏と同じタイプを歩ゆんでゐるのである、児玉希望といふ男は、智略群を抜いてゐるといふ風に解されてゐたら、それは少しく考へすぎだ、政治的工作といつたところで、たかだか画壇的工作の範囲にとどまる、日本の政治をどうかしようとか、国際的な陰謀を企てるとかいふ大それたことをやるのではないのである、たかだか一美術の団体を運用して画敵と闘ふ範囲にとどまるの
前へ
次へ
全419ページ中210ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
小熊 秀雄 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング