特別に冷静にならなければならないやうに思ふ。児玉希望の世間的な要因は、その画壇的動きにあるやうだ、彼は画家としてでなく人間として風当りが強い理由は、画壇での政治的工作なのであらう、しかしおかしなことには、画家としての彼の作品の批評は、大体に於いて、公平な批評下にをかれてあるといふ事実がある、これは作品の価値として動かしがたいもので批評をみても何時の作品も、みな賞讃されてゐるのである。批評の中では彼は恵まれてゐて、そして一般的風評は恵まれてゐないといふ奇現象を生じてゐる、しかし、批評の正確さ児玉氏自身の仕事に対する不断な情熱の傾け方といふものは、かうした世間的な悪評をホホキで掃くやうに掃きだすことが多い、しかも児玉氏は、大体に於いて問題作提出作家だから、世間の風評をまとめてをいて、一年のうちに何回か、丁度衛生大掃除のやうに掃きだすのである。児玉氏がさうした問題作を提出したときの批評をみたらいゝ「やつぱりこの人は実力がある」とか「やつぱりこの人はただ者ではないと思はれる」とか「希望もやつぱり大家としての貫禄がある」とか評されてゐる、「やつぱり」とは、希望再認識の枕言葉のやうなものであつて、
前へ
次へ
全419ページ中209ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
小熊 秀雄 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング