黒い男はないといふ、この意見の違ひといふものは甚だ面白い、真実の彼をいつたいどこに求めたらよいだらうか。彼を擁護することは、彼のもつてゐる通俗性を擁護することになるといふことは、その意味を言ふのである。即ち児玉希望はその描かれた作品の批評価を超越して、賑やかにこの種の通俗的人間批評が巷を横行してゐるといふこと、そのことに引つかゝるのである。
彼を良しとして擁護することは、彼のこの通俗的なゴシップ的なもの、或は彼自身の画壇的な行動といふものと、すべて全幅的に容認し、擁護する立場に立たなければならないといふことがある。しかし私は批評家としてみるときは決してそのことが難かしいことではなく、態度の上ではつきりと決定されることなのである。
児玉希望といふ作家はどうですか――といふ質問を画家仲間にでも、美術記者にでも発してみたらいゝ、画家はきつとかういふでせう――さあ、良い作家でせうね、と仮に悪い作家だといふ人がゐたとしても、その悪い理由を明瞭に自分で知つてゐないし、説明するだけの悪い理由を語り得ないから、結局、単純に良いと言つた人と同じ批評を生みだしてしまふ。
私は児玉希望の評価の仕方は、
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