様にもつことができたといふ観者の立場からさういふのである。桂月氏の描写の執着的な態度には、現実を顕微鏡的に細かく見てゐるといふたくましさがあるが、一面細密描写即写実性であるといふ不自由な考へ方が解放されたところがある、細密描写が写真的描写に堕してゐるのが現在の日本画である、それを避けて新しい方向と写実主義を日本画に於いて確立するには、絵の部分に於ての細密描写が、その細かければ、細かい程綜合的な大きな量と面とを産み出さなければならないだらうといふ個所に問題の解決点がある、桂月氏は細密描写の追求に於てその意味で問題の作家と言へるだらう。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
松林桂月論(二)

 世間ではよく『伝統』といふものの値打や、美しさを云々する。それが国家であれば、その発生の古さを、芸術であればその伝来の長さを、価値の高いものとされる。日本画の場合は後者である。しかしその値打の問はれ方といふものを吟味してみるときかなりアイマイなものが多いのではないか、日本画は、殊に南画形式のものは、その形式の古さを、現代の中に復活してくる力量を示せば、示すほどに賞讃されるのである。
前へ 次へ
全419ページ中21ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
小熊 秀雄 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング