立脚してゐるのである、そして福田平八郎氏は現在どのやうな仕事をしてゐるであらうか、彼は依然として鯉を描く情熱は衰へてゐないし、これまで彼が手にかけてきた画題雪でも鶴でも、『朝顔』『菊』『茄子』等々と過去の画題を引きずり出してきて、何べんも描く情熱があるのである。この点に、印象、大三郎氏等とは異つて平八郎的立場があるのである。つまり彼は何度でも同じものを蒸し返すことができるのであるし、また彼の足跡はさうした蒸し返し(画題的には)によつて現在に到つてゐるのである。
 印象氏の仏画的な画業は、画業であると共に、事業でもある、それは絵画の果し得る一つの宗教的任務を、印象氏は果しつゝあるので、さういふ意味では印象氏は非常に社会的な、また政治性を加味した動きをしてゐるわけである。印象氏は最も公衆術を描いてゐるといふ意味で、社会的意義をもつてゐるわけである。
 こゝで平八郎氏の仕事ぶりを、堂本印象氏の仕事ぶりと較べてみるときは、全くその性質を異にしてゐる、世間的評価の印象、平八郎の相違点もまたその仕事の態度の相違点に拠つて決定されてゐるといふことができるだらう。こゝでは評価をこの二人のどちらが絵がう
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