あらうか、この作品は非常に作者の心理の複雑なものをこの作から感得できるのである。読者はこの「胡馬」の描かれた状態に注意をされて欲しい。殊にこの馬の前脚に何か不思議な感得をすることがないであらうか、私はこんな幻想的な批評をこの場合ゆるして貰ひたい。それは小杉放庵といふ作者は、小杉未醒といふ作者をこの「胡馬」の前脚の処に封じ込んでしまつたのだと考へる、私はそれほどに、この馬の前脚に人間が立つてゐるやうな、擬人的なものを感じられるのである。この作品は、決して張り子の馬のやうな現実遊離の馬ではない。しかし歌舞伎の縫ひぐるみの馬のやうに、確か前脚には、一人の人間が縫ひこまれてあるやうに思へてならない。しかもそれは放庵は未醒をこゝに封じこんだといふ幻術的な異様な感覚をそこからうけとる。馬の頭部は何事かを思索してゐる。それが何であるかはわからない、再びこゝで問題をすゝめて、それでは日本画家としての放庵の人間味はこの「胡馬」的なものに求めたらいゝであらうか、それは全く見当が違ふのである。それは花鳥を極度に美しく描いた作品にそれを求めなければならないのである。その現実離れのした美しさは、その現実離脱の距
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