ば、それは手段、方法に対する悩みでなく画題に対する新しい悩みが登場して来なければならなかつたのである。然しこの未醒の第二次的な悩みが襲来したとき、未醒は、その「題材の喪失」といふ一事件にぶつかつたのであらう。道筋は当然さうあるべきだ、杣夫や、農夫や漁師から、突然極度に美しい鳥類や、松の木や、蔬菜類などを描かうといふ精神的移行は、洋画といふ現実的な材料と袂別の始まりであつたのである。生活に痛んだ漁師の人間らしい顔を描き、その漁師の悠つたりとした心の寛容さを描くのに用ひた油絵具は、こゝでは、斯うした材料を描かないといふ心の規則によつてまたこの「題材の喪失」によつて捨て去られたのである。そして全く日本画題材へ精神が傾注したときに日本画材料を手にした放庵といふ生れ替りが立つてゐたとみるべきであらう。
 未醒、放庵の転移の瞬間に就いては、かなりに強烈な意図の下に行はれたやうに思へる、いまこゝに放庵の人間味を論じ、論じ尽し得ない人々があるといふことは、それは放庵の心内の状態の吟味と彼の日本画の仕事の性質の検討が不足だからだと思はれるのである。
「胡馬」といふ作品がある。この作品は人間味のある作品で
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