の自由な観賞に委ねて効果的である、前進してゐる鯰の鼻ツラの辺りに、水の衝突をかすかに描いてゐるのが、静中動ありの雰囲気がでゝゐる墨色の美しさは、新しい感[#「感」に「ママ」の注記]能といふよりも、桂月といふ人の年功を経た感[#「感」に「ママ」の注記]能として、また別種の新しさがある、この新しさは個展画中の淡彩物の、色彩にまたそれを発見することができる、墨一色から墨色の段階を発見することは、感覚的に可能であつても、いざそれを具体的、科学的に分解するといふことは容易ではない、淡彩では青とか赤とか黄とか色が分類されて現れてゐるために画家のもつてゐる感覚的分類もそこから容易に発見できる可能性をもつてゐる。
桂月氏の淡彩のロマンチックな感じは決して、ナマなものではない、墨の写実性を超克した、そこを踏み越えてきた青の洗練された美、赤の洗練された美といつたものがある、それがロマンチックな色であるといふ意味で、非現実的であるのではなく、墨色の果せない立場を淡彩で果してゐるといふ意味で決して甘くはない、何時か雪舟の山岳画を見たことがあつたが、黒一色で描いた写実主義の精力的意慾的な態度は頭の下がるものが
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