る『菜根』は俗臭ぷんぷんたるもので、こゝでは全く新しい制作の良心が少しも加へられてゐるのを発見できない、『木瓜』の樹や、『鳩』の樹は自然物としての樹の枝ぶりが、あまりに日本画風な約束に触れすぎてゐる、その枝ぶりの描き方にどれだけ深淵な古来の日本画描法の理論をひきだしてきたとしても、現実的にはすでに近代人の感覚は、このきまりきつた枝ぶりをきつぱりと否定し去るだらう、木の形態の選び方に日本画としての規定があることは認めるが、それに反撥して、我々の気づかなかつた形の新しい発見を画家の努力的な紹介をしてほしいものだ。上にのびた枝が下にをりて、また上にあがつているといふ形の観方は、なるほど自然の方則ではあらうが、自然の法則を、絵画の法則として最初に取り入れた人は偉いが、いつまでも方法として固着させてをくことゝ闘はれていゝ筈である。
『鯰』は場中で出色のもので、鯰のヌラリと尾を静かにうごかして泳いでゐる描写は、この作者の特長的な細密描写の迫真性とはちがつた、線条の効果とは違つた、色彩と面のかけ合せの効果を示してゐた、『鯰』といふ奇形的な魚の個性に執着せず、自然にのびやかに観察してゐる点却つて観る者
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