感や、焦燥感は、さうした創作的態度から滲み出たものであり、或は作者自身は、それを目的として描いてゐないだけに、本人が気づかないこと柄であるかも知れないのである。「奔湍」に於いては泡立つ浪の面白さや、水にのり出した木の枝の面白さ、などにはほんとうの面白さがなく、むしろこゝでは散らした紅葉に、細かい人生的な運命的な作者の考察を発見することができるのである。
 この奔湍に押しながされる、無数の葉の在り場所が、まことに面白く自然の運命を語つてゐる。一枚の葉は岩の上に、押しあげられてゐる。ある葉は飛沫の中に飜弄されてゐる。ある葉はたゞ押し流される許りだ、これらの葉の描き個所によつて、これらの葉がそれぞれの宿命を語つてゐる面白さは人生の奔湍に押しながされる人間の運命と照り合せて興味が湧く、そしてそこには二羽の雉が飛んでゐる。光瑤の描く雉に就いても、かういふ特殊の状態がある。古来雉は幾多の画家によつて描かれてきた。その羽毛の美麗で、羽毛の線の整然とした配列はその鳥でなければ、得られないものである。しかしその華麗さに於いて描いた人は多いが、光瑤氏はその華麗さに加ふるに動態美と、緊張感に於いて独特な雉を
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