、しかし「燦雨」にせよ、「雪」にせよ、決して執着が去つてはゐない。むしろ「熱国妍春」の主題の変つてゐることゝいふ助け船なしに、別な意味の執着が加へられてゐる作品と見るべきだらう。
「雪」ではいまにも※[#「口+堂」、85−上−11]と音してずり落ちさうな雪質を巧みに描き出されてゐる。余寒の中に、羽虫をとつてゐる雉の、この鳥類の精神的位置といふものも、よく捉へられてゐる。作品はそのまとまりに於いて完全であるが、技法の上からみれば、雪の散らし方などは、大胆を極めたものがある。其他の作品に於いても、その技術や制作精神は、情趣は使駆するが情趣に溺れないといふ態度が、石崎氏には多分に見受けられたのである。いまにも崩れ落ちさうな雪を、描いてゐて、その雪が崩れ落ちるといふ瀬戸際まで描いてゆくといふ、その追求的な態度が「雪」には良く現はれてゐるのである。「熱国妍春」では南国植物の葉脈の徹底的細密描写があり、それは見るものをして驚嘆させるほど、根をつめた仕事ぶりなのである。しかし「雪」に於いて、雪がズリ落ちる瀬戸際まで描くといふ根のつめやうは、一般はとかく見落し勝なのである。私が前に述べた作品に漂ふ不安
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