描いてゐるのである。「奔湍」の中に描かれた雉は、その羽を極点的に拡げてゐる。これ以上羽に力をいれることが不可能だと思はれるほどに、充分な羽の拡がりに描ききつてゐる。もしこれ以上に、この雉が羽に力をいれたなら、その肉体がばら/\に分解飛散してしまふであらうと思はれるほどに、作者の緊張はこの対象物にうちこまれてゐる。「春律」の雉に於いては、その緊張感を、画面全体の韻律に解消してゐるが、「奔湍」では全く、力学的な構成の頂点に達した雉を描いてゐるのである。そしてそこにはさうした技術的計画が、新しい感覚美を、画面にもたらしてゐるのである。「野鶴」に於いても「装飾風のやり方では止むを得ないが――」といふその「止むを得ない」部分は実は作者の意図があると見ていゝだらう。鶴の群の背景をなす部分にこそ、作者光瑤氏の強烈なロマンチストな部分を窺ひ知ることができるのである。春の野花の数々はその美しさを競ひ、星空を地上に引きをろしたやうな極度の美しさが展開されてゐる。そこには装飾的だといはれる何物をも感ずることができない。たゞそれをみる人が、この美しさを現実とみるか、それを一口に「非現実」といひきつてしまふか、
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