置に立つてゐる。さういふ状態はあまりにも惨めなものがある。徳岡氏はさういふ政治的計画は絵の上には加へられてゐないやうだ。画壇の一党派を引具したところで、広い世間からみたら、単なる画家の一団体にすぎない。それが絵の仕事を放りなげて、政治的工作をしたところで、高が知れてゐるのである。もし徳岡神泉氏が、さうした画壇政治的野心があるものと、こゝに仮定したならば、『それはお止しなさい』と止めたいところであるし、さうした政治的工作よりも、蓮や菖蒲の一枚の葉の真実を描くことの、如何に仕事が大きいかといふことを、神泉氏のために奨めたいのである。世間では神泉氏に対して一種の大器晩成主義とみてゐる、その出来上つた作品は賞める。それに『将来有望』と附加しなければ気が済まないやうな型だ、何かしら次に出て来なければならない筈だといふ批評的立前から、ものを言つてゐるのである、『神泉氏は恐らく昨今に於ては、一つの転機に立つてゐるのではないかと思はれる』といつた批評がこれまで幾度となく繰り返されてきた。観賞家や批評家といふものはまことに気が短かい。観賞家の気の短かいことはわかるが、批評家はほんとうは作家よりも、気が永
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