い位でなければ嘘なのである。少し許り同じ題材がつづいて描かれると、それを行詰りと見るなどは、神泉氏の場合に当てはめても当らないこと甚しい。神泉氏が狸を描くと、すぐ毛皮を描いてくれと注文するやうなものだ。少し仕事の渋さが連続すると、転機だ転機だと言はれるのである。神泉氏はさうした意味の、騒がれる人徳をもつてゐる。批評の内ではかういふ大胆不敵な評もある。『時には作者自らを動きのとれぬ苦悶の境地に縛りつける。しかし所詮真の芸術が一つの業苦であるならば悩みのまゝに押し切るより外に術はない――』と神泉氏に向つて言つてのける。しかもそれが女流批評家の言葉であつて、かういふ批評を戴いては神泉氏たるもの、左様貴女のおつしやる通りですと肯定せざるを得ないであらう。かういふお嬢さん批評家にかゝつては作家も適はないであらう。この批評家は、神泉氏が何か病気にかゝつてゐるかのやうに錯覚を起してゐるのである。何故なら彼女は、芸術といふものを病気と同じものに考へてゐるらしいからで『所詮真の芸術が一つの業苦であるならば』などといふ形容は、これは『一つの業苦』ではなく『一つの病苦』といふ書き誤りであらう。さうだとすれば
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