悩みがあつたであらう。彼はまだ現在完全な写実主義者になりきつてゐない。自分のもつてゐる写実的方法での弱点を、象徴的方法で補足してゐる。或る人は桂華の作風を「新自然主義」と呼んだがそれも一理がある。「新古典主義」でもよからう、しかし「新」といふ冠詞の附し方は桂華の場合適当でないだらう。「新」などを附さない、単なる「写実主義者」だと評した方が桂華の現在の現実的計画に対して適当な言ひ方だと思はれる。
「春の雨」といふ作品が桂華にある。鶴に柳の雨といふ図柄で、この作品をある人が斯う評してゐた。「見る人の悉くが感じたことは、あの羽虫を捜す頸のうねりが、写生としては如何にもさもありなんとは見受けられるが、所謂鶴首としての概念とされてる、すつきりした感じを砕くと、見る目に憾みを残さした事だ――」と批評されてゐる。この絵は成程鶴の首の曲げ方にぎこちないものがある。しかしこの批評家は「写生としては如何にもさもありなんが――」と前置きして、鶴首としての概念としてのスッキリとしたところがないと桂華を批難してゐる。桂華の写実的態度を一応認めながら、それでゐてその絵が鶴の首のこれまでの概念とは遠いからよくないと
前へ
次へ
全419ページ中140ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
小熊 秀雄 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング