感動をみるものに与へない。言ひかへれば、絵かきの絵らしさといふものが、ひとつの夾雑物として邪魔をする。しかし美人画や武者絵の場合は、かなり線の簡略化の方法も洗練の度のすぎたものが、あるに拘はらず、自然に無理がなくうつたへるものが多いのである。契月は『平穏の作者』であつて、決して見るものの心を過度に刺戟することをしない。それは人柄が絵を穏やかにしてゐるのではない。むしろその反対なものがある。作画上ではかなりに強烈なヱゴイストなのである。その自我の強さが、作品を穏和に制約する力量を示し。また力量を貯蓄し、決して作品の、芸術的基準を下げないといふ力量を示してゐるのである。なにか穏やかな平安な作品に対しては、作者の人柄がさうであるからだ――といつた批評をみかける。作品を直ちに人格に結びつけて、具合よく作品論を避けて人格に結びつけてしまふといふことは、現下の美術評論壇には、まことに多いのである。しかしそのことが決して作者に対して礼のある批評家の態度だとはいへないのである。契月論は決して人格論であつてはいけないのである。道義的状態、或は人格的状態に於いては、芸術家は論なく、道義は正しく、人格は高潔
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