的な手法といはれてゐるものを、『交歓』に於いて、互に武人同志、握らせてゐるのである。この『交歓』といふ武者絵ほど、武者絵の解釈に新生面をひらいたものはちよつとあるまい、武人といふものは、今も昔も戦争をすることをもつて職業としてゐることは変りはないであらう。しかしこの人達は、のべつまくなしに戦争をしたり、殺し合ひをしてゐるわけでもあるまい。菊池契月氏の顔の中には、戦争をしてゐる武人よりも、戦争をしてゐない武人の方が、より多く占めてゐるやうである。もつと強い言ひ方をすれば彼は戦争をしない武人が好きにちがひない。また我々の日本の過去の歴史のある期間には、たしかに戦争をしない武人の時代も存在したのである。彼は武人画で画中の人物を、時に戦はさうとする本能が働くことがあるにちがひないが、彼のもつてゐる精神的なものがそれをさせない。そこで戦ひの後の武人が、その疲れを清水で医し、交歓しまた鎧の修繕をやつてゐる武人の絵にしてしまふのである。『ゆふべ』とか『南波照間』といつた傾向の作には、造形的な意図がはつきりみえてゐるため、半分の人間性と、半分の絵画性とがあつて、絵の出来は完璧であるに拘はらず、綜合的な
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