作品には何ともいへない品のよいデリカシーがある。そしてそれは到底男の作家では及び得ないやうなものだ――』といつた批評も見えてゐる。小倉氏の作品には全くデリカシーがありそれが気品を伴つてゐる。しかしこの批評家のやうに、男の作家では及び得ないやうなものだ――などといふ批評は、矢張り『女なるが故に――』甘やかされた批評の一種と見るべきであらう。芸術的な創作物は、あくまでその評価を具体的な状態で解明していかなければならないものであつて、男であるからとか、女であるからとかいふ『性別』の問題を表面にとりあげるといふ法はないのである。女性作家にとつては、その種の女なるが故にといふ批評の内容的なものを想ひ、抗議的であつていゝ位である。また批評家としても、男の作家では出来ないやうな仕事を小倉女史が為し遂げたといふ批評の仕方は、女の作家を軽蔑したことにも、男の作家を卑屈にみたことにもなるのである。芸術作品に対するお世辞の使ひ方も、性別を加へたお世辞であれば、鼻もちのならない卑しいものに堕することも少くないであらう。
小倉遊亀氏の人気の基本的な線は、決して最近の現象ばかりをもつてそれを論じられない。しかも
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