その最近の仕事をもつて小倉氏の評価を決定的なものに考へることは、小倉氏、またそれを評する者、何れにとつても危険この上ないことである。
『浴女』『浴後』が彼女を画壇上に浮彫りにしたといふことは事実である。
『溝上遊亀といふ画家がゐましたね、いま評判の『浴女』といふ画を描いた小倉遊亀といふ人とは、どういふ関係があるのですか――』と訊ねられるといふことも考へられる。それをもつ筆[#「つ筆」に「ママ」の注記]者が画壇事情に通じない人に訊ねられたとしたら、何とか答へないわけにはいかない。溝上を、小倉に名前を変へたといふ画の話以外の人事関係などを語らなければならないなどといふことは、全くもつて世話が焼けるし、面倒臭い話でもある。
 小倉氏の作品に就いて、語ることは好ましいことではあるが、人事を論ずることは避けたいのである。しかし改名の件に就いて他人が理由を質ねたとき、それに対してその理由を芸術論的に答へる方法がないかどうかといふことを工夫してみると、その方法があるのである。それには『溝上遊亀といふ人と、小倉遊亀といふ人とは同一人です、溝上時代には草花の類を描いてゐましたが、今度小倉と改名してから人
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