から抽き出された何等かの形式なのである。大智氏の作品には表面的には何等その激しさは認められず、温和そのものの表現ではあるが、追求の方法の激しいこと、一例を挙げれば、大智勝観氏は直線と曲線との相剋に永い間悩んできた人である。したがつてその両者の独立、溶合、更に直線でも曲線でもない或る物、さうしたものの発見の方法は、かなりに激しいやり方をしてゐるのである。
第十六回美術院試作展に大智氏の出品した『春秋』といふ作に、或る批評家は『春秋』の松が余りに弱々しい、優美と云へばさうも思へるが力が欲しい――と評してゐたが、この種の批評はこれまで大智氏はずゐぶんされてきた。作者の立場からすればこれらの批評は全く作者とは見当外れの立場に立つものであらう。何故なら私の見るところで、その松の木の弱々しさ、優美さこそ、この作家のねらひどころであらうと思はれるからである。作者が計画企図するところが画面にうまく表現されると、批評家がその点が悪いとか、不満だとかいふ。それほど奇怪なことはない。我国の美術批評界には実にさうした批評が多い。一言でいへば、さうしたことを指して『無理解』といふのである。しかも大智氏の松の描
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