或る批評家のやうに松園氏をきめてゆくのであれば世話がない曰く「いはゞ浮世絵の行き方を京都の上品な趣味で翻訳したといつた」作品が上村松園氏の作品なのださうである。この批評によれば、もし上村松園氏が大阪に住んでゐたとすれば、現在のやうな作品はできなかつたわけになる。大阪の趣味がどんな趣味であるか知らない。或は東京の趣味はどんなであるか、浮世絵を改作し、翻訳してゆくのに、京都趣味をもつてしたといふことは、いつたいどういふことであるか、この批評はいかにも一応もつともさうな松園批評なのである。しかしそれでは「京都の趣味」とは如何なものかといふ質問を発した場合には、まづ京都の趣味なるものを語れといつた場合には、さう京都の趣味なるものを軽率には語れまいと思ふ。そのことは大阪趣味とか、東京趣味とかいふことにも当てはまる。身の廻りの置きものとか着てゐる着物の好みとかいふものは、どこそこ趣味といふことも言へるかもしれない。しかし芸術上の方法に、その土地の趣味を翻訳の方法にするなどゝいふことは、絶対に不可能なのである。この批評家の言葉は、一般向きの素人評であり、かなりお座成りなものがあるのである。
もし松園氏の作品がこの人の言ふやうに浮世絵の行き方を京都の上品な趣味で翻訳したのが事実だとすれば、上村松園といふ画家は単なる一地方画家といふことにならう。松園氏に限らず、もし京都在住の作家に向つて同じことを言つた場合には、京都在住作家の不満を買ふにちがひない。その作家の住む環境は、その画風の上に影響のあることは認めることができる。しかしその画風の本質まで、環境第一主義の作家であればその作家は大粒の作家とはいへない。小粒の作家といふべきだらう。もつと超地方的な一般的真実に接近するといふ態度は、彼が如何に地方的雰囲気を身につけてゐる作家である場合にも採るべき態度である。
多少余談に亘るが筆者が福田豊四郎氏と語つたとき、氏は東北出身で、題材も初めの頃が郷里のものを多く扱つてゐたゝめに、世間では自分を、地方作家といふ貼り紙をつけて困つた。それで世間のさういふ概念をひつくり返すのには、自分は五年もそれ以上もかゝつて苦心したといつてゐたが、その場合の福田氏の苦衷はよく判るのである。画題を中央よりも地方により求めるといふだけで、心ない世間ではその作家に作品の価値でなく、題材の出所から、地方的作家と勝
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