効果といふものを他に求めてゐる。この点は伊東深水氏の作画上の独特な方法である、「細雨」の中の女の服装は淡色と濃色との大柄な矢絣ともいふべき柄で、そこにははつきりとした濃い矢の模様が十本描かれてゐる、その矢のうち上に向つて描かれた矢が二本、残りの八本の矢は下に向つて放された矢、つまり二本が天上に向かひ、八本が地上に向けられた矢模様である。矢の方向といふのは運動の方向なのであつて、細雨が天から地上にふるといふ方向と一致させてゐるところに、細雨の表現への外劃的な助け太刀があるのである、上下に飛びちがふ矢の方向を模様化してその巧みな数の配分によつて、「細雨」といふものの運動の方向を決定づけるといふやりかた、その他にもう一つ、女の傍の手すりには、タオル風な手拭様なものが拡げられてかけられてゐるが、それが細雨などといふ微細な物質を、吸収するにもつとも適当なものとして置かれてある、その手拭風のものは細雨のしつとりとした湿りをこゝで吸収される物質として細雨の実感の一部を表現するに重要な役目を果してゐる、部分が全体を決定するのである、作家の技術にはその細部に重要なテクニックが隠されてゐる、作家はその細部のテクニックを強調するのではなく、それを全体的な効果の中に解消するやうにする、然し或は斯ういふ人もあるかもしれない、「さうしたテクニックは伊東深水氏だけがやつてゐるのではない、日本画家の大家はみんなその位の工夫がある――」と、それも確かに一理はあるが、こゝで問題にしてゐるのは、永い間の習練に依つて巧まずして、さうした技術を会得してゐる人もあるのである、しかし、伊東氏の場合はそれとはちがふ、無計画的なものではない、意識してその方法を用ひてゐるといふところに問題があるのである。
昭和九年帝国美術院第十五回展に出品した「鏡獅子」は名人六代目菊五郎の鏡獅子の舞踊を伊東氏が観て、名優の至芸からヒントを得て製作されたものであるが、この「鏡獅子」製作談を伊東氏がかういつてゐる「背景の黒い隈なども、畢竟霊獣の妖気に引かれて行く運動の状態を示さうが為なのです。そして全体に画の向つて右の側面に明るい感じを出したのは、妖気から逃れようとする女性を、一層効果的にするためには、必然にとるべき方法だつたのでせう」と云つてゐる。この作者の言でもわかるやうに、隈のつけ方は全く計画的であり意識的である。作中人物である
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