衣婦人像』などをみると、一応腹の出来た人といふ感じがする。『有段者』では柔道家の立姿である短躯前方を見つめてゐる。この柔道家の意志的な強さといふものは描けてゐるが、僕の考へる理想的有段者といふものは、あゝした人物の硬直と謹厳のみが有段者の全部でないのではないかとおもふ。柔よく剛を制すといふのが有段者(所謂戦ひの名人)の態度ではないかと思ふ。この『有段者』には柔の面が少ない。僕は作者柳瀬俊雄の創作態度にも、柔よく剛を制す――といふ言葉があるといふことを知つて貰ひたいことをのぞめば僕の批評は足りる。
星野雅弘……『冬日』この作品の良し悪るしを言ふのではないが、冬の日を描くとき彼は冬の日の空気といふものをよく捉へてゐる。具体的に言へば冬日の空気を画家が色として画布の上に移し得た巧みさをとる。しかもその雰囲気とか、空気とかいふものゝ描写に際しては、よく画家はこれらのものは『漠然たるもの』といふ風に理解し、またそのやうにボッとしたものとして描きたがる人が多いが、それが大間違であつて、いかなる難かしい雰囲気にせよ、画面を我々が見たとき、作者の心理的説明を立派につけ、具体的に説明されてゐるものでなければいけないと思ふ。言葉をかへて言へば真白の色から真黒の色に移るまでには、幾多の数かぎりない段階、階程、過程とかいふものがあるわけだ。それを心理的に見ようとせず逃げてはいけないといふ意味である。この冬日にはその努力がなされてゐるので絵は余り好きではないが、良い努力だと考へた。
片多徳郎遺作展
春台展での片多徳郎遺作展は僕を感動させた。殊に少女を描いた白い『裸婦』に就いては、私のやうな若輩の批評を絶対にゆるさないものがあるから、一言もいはない。ただ一言多くの画家諸君に進言したいことは、画家といへば助平の代名詞のやうに世間では考へてゐる折柄、婦人に就いてあゝした崇高な理解をもち得る人は何人あるだらうかといふことである。片多徳郎の、白い『裸婦』の前で婦人即性慾を見てゐる多くの助平画家は頭を垂れたらいゝ。それからもう一言、春台展では片多徳郎、丹野次男、平田千秋の三人遺作展をやつてゐるが、それも非常に良いことである。だが一般の画壇にのぞむことは、なるべく才能のある画家は生きてゐる間に団体として好意をみせるのがほんとうで、本人にしても死んで花実が咲くものかであるし、死んでから、急に
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