才能を発見して騒ぎたてる傾向があるから、生きてゐるなら生きてゐる間に良い作家の真実の価値を大衆に示すやうに団体として努力すべきだ。
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洋画壇時評 旺玄社展を観て
   上野山清貢と岩井弥一郎

 岩井弥一郎――最も場内で個性的だといふ意味に於いて、この作者の絵の前に私は吸ひつけられた。同時に私はこの岩井の絵を見て、直感的に斯うさとつた『彼は立派な観念主義者である――』と。観念主義者は美術にかぎらず文学、哲学あらゆる部門にわたつて世界各国にびまんしてゐる。彼を観念主義と見るならば、岩井は一体何国流の観念主義者だらうか、それは将に独逸流の観念主義者である。
 それは彼の『静物』を見れば判る。色々の野菜類が雑然とならべられ、それがおそろしく大きく描かれてゐる。
 岩井の場合にかぎらず、画家が一個のリンゴなりカボチャなりを前にして描き出すとき、そのカボチャの実在的な大きさつまり実物の寸法より、画布の上に一巡り大きく描くといふこと、反対に一巡り実物より小さく描くといふことに対して果してその画家はどれだけの良心が働いてゐるだらうか。芸術的表現とは、実体を拡大するといふ単純な考へに捉はれて仕事をしてゐる美術家が近頃すこぶる多いのである。ティントレットのパラダイスの絵画は五十呎乃至百呎の距離に適はしく出来てゐる。つまり見るに適当の距離を必要とする程の大きさに表現されてゐるわけだ。だがこの絵は而も近づけば近づく程より立派に見える程鋭敏に色彩づけられてあるさうである。
 岩井の絵の物の拡大は離れて見ては物の実感を一応我々に与へてくれる。然し近よつて見ると、如何にも誇張感たつぷりの描写であることが判る。物の形の量に答へるだけ、その質が充実されてゐるかどうかといふことが、岩井の絵の場合問題になるだらう。岩井の絵の物の拡大の方法は、彼が一応写実主義者であるだけ一層描いてゐるものに矛盾が現はれてゐる。誰かがその矛盾を指して岩井の絵は面白いといふのであれば私は何をか言はんやである。岩井の絵には見るものに与へる感じは、厳粛さといふよりも、滑稽感である、殊に『婦人像』などにはその感がふかい。他人は良く岩井弥一郎の絵を指して、彼の絵が素朴であるといひ、ある人はアンリー・ルッソー的だといつてゐたが、私は岩井の絵を他人のいふ程素朴な画風とは見てゐない。む
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