その襖をあけようか、開けまいかと、長い間思案をした。
 部屋を思ひ切つてあけて見た、しかし何の異状もなかつた。
 室の中には、非常に寒い空気が充満してゐたきりで、彼が会社に出掛けた朝のまんまになつてゐた。
 机の上には、一日ぢゆうの埃が灰のやうに白くつもつてゐて、水島と彼女とが、きつと花弁のやうに寄りそつて坐つてゐたことであらう、あたりの位置にも何事も起つた様子がなかつた。しかし彼は焦々として室中を見廻し
 ――眼に見えない、いりみだれた指紋で、室中めちやめちやにしてしまつた。
 彼はかうぶつ/″\いつて部屋を出た、そして泥棒猫のやうに、がさ/″\下宿の戸棚を探してゐたがやがて一握りの塩を掴んでき、先づ一番神聖でなければならない机の上に、そして天井に壁に、四方八方に撒いた。
 お可笑さがこみあげてきたが、彼はどうしても笑ふことができないので苦しんだ。
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殴る


    (一)

 俺はつくづくと考へる。世の中の奴らは、もちろん嘘で固まつてゐるといふ事実だ。
 情なくなるから、あんまり他人《ひと》さまのことはいふまい。手近なところで、俺の
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