た。彼は工場の窓を乗りこえると、人々の寝息を窺ひながら、叮嚀に自分が配つたビラを一枚一枚ふつてみて、おふくろの小為替がビラに密着《くつつ》いてゐないかどうかを調べだした。
一つの布団でふいに男が顔をあげて、きつと少年をにらみつけて
『誰だつ―貴様は―』
と低い声でいつた、失敗つたと思つたが、少年は
『誰でもない―静かにしろ、おれは共産党だ』その男はくるりと布団をかぶつて、底の方へゴソゴソと芋虫のやうにもぐつてしまつた。
ビラを調べてゆくうちに、ふと小為替はシャツのポケットに入れてあつたことを思ひ出した。果してポケットに入れてあつたので、彼はそのとき危険な場所を去りだした、少年はあわてゝ寝てゐる男の頭をいやといふ程足で踏みつけた、男の叫びと部屋中の混乱を背後にきいて、窓から戸外にむかつて暗がりの中に飛び下りると、少年の飛び下りた尻が爆弾の炸裂するやうな大きな音をたてた。それは少年が飛び下りた窓の下が鶏小屋のトタン屋根で、彼はそれを踏み抜き、ギャア、ギャアといふ鶏の狼狽する声と、争議の籠城組との騒ぎの叫びとで、深夜のこの工場地域に住む人々をみんな起き出させてしまつたことを知つた。
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