いところに進んで行つた。
歌につれて雛太はお座敷着の裾を両手でつまみ、それをめくり上げながら次第に白い脛を現していつた。
『勇敢にせんか、敵前ぢやぞ』
水は膝頭よりだんだん深くなつていつた、途端に雛太は白い脛を飜しぺたりと坐り、わつと泣き出した。
『旦那、あなたが、浅い河[#「浅い河」に傍点]を踊りなさいよ』
半玉は手にしたハンカチを客の顔に投げつけた、客はムット怒つた顔で怒鳴つた。
『馬鹿ッ、上官に反抗するか、上官は敵前渡河は馬に乗つてやるもんぢや―』
村会の議題『旦那の湯加減並に蝋燭製造の件』
電燈も、飯米も、肥料も、種子もない。抽象的な言ひ方をすれば、百姓だけがゐる村へ、都会から××政党の農村視察の旦那が訪ねて来た。
柔らかい、白い手の平を愛嬌よく振りながら、旦那の姿が、村へ入る峠へ現れた。村長、村会議員、青年団、処女会、子供、飼犬、等、村の土臭いもので、足をもつてゐる、すべてのものが出迎へた。もし旦那の所属してゐる政党と、村との関係とを説得することが出来たら、熊蜂や、蚯蚓や、山雀も出迎へに引出しただらう。村長の気持を打ちあければ、畑の物や、山の木の葉をさへ、旦那のいらつしやる方角へ、一枚一枚、葉を向けたいほどに敬意を払つてゐた。
村長の家に旦那が旅装を解いた頃、村民は二手に分かれた、一組は村の背後の山へのぼつて行つた。村の附近の山は、全くの禿山であつたので、三つも谷を越えて、一同は山奥へ薪木をとりに行くのであつた。
もう一組は、急斜面のふかい谷底へ、各自が桶を手にして水汲みに降りて行つた。
二組はなかなか村へ帰つて来なかつたが、間もなく百姓の群は戻つてきた、百姓達はガヤガヤと大騒ぎをしながら、村の原始的な共同風呂である大釜へ、新鮮な水をたつぷりと入れ、乾いた薪木を燃やした。
釜の底へ、直接体が触れぬやうに、小格子の丸い敷板があつて、それを旦那は重い体で沈ませ、肩までひたるのであつたが、湯は旦那の体の容積だけ、ザブリとこぼれた。
百姓は、あわてゝ手桶をもつて村の谷底へ大騒ぎをしながら、水汲みに降りた。
旦那は村で五衛門風呂と言はれてゐる大釜へひたり、後頭を釜の縁にかけ、両眼をつむり『ふん、ふん』と鼻の先を鳴らしながら、一人一人から村の状勢をきいてゐた。
間もなく旦那は恍惚状態に陥つた、全く身動きをしない、ただ『熱い―』と一言いは
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