場のなかで、赤児の死骸をぺろりと平らげてしまひました。
 そのとき何処《どこ》からともなく、法螺貝の音が聞えました、つゞいて人馬のひゞきが起りました。騎士は暗がりの中からあらはれた、たくさんの手のために、其場に押し倒され、頭からすつぽりと袋のやうなものをかぶされてしまひました。
 そして騎士は、馬の背にのせられて、どことも知らず運んでゆかれました。
     *
 なんといふ明るさでせう、騎士が馬から、おろされたところは、まつくらな墓場とは、似ても似つかない、昼のやうにあかるく七色の花提灯《はなちようちん》をつるされた、大理石の宮殿の中でありました。
 黒い騎士が旅の目的地であつた、王城の中に立つてゐたのでした。
 やがて正面の扉がひらかれて、白い長い髯を垂れた王さまが、にこ/\と笑ひながら出てまゐりました。
 それよりも驚ろいたことには、野原の中の古ぼけた寺院の怪しい女が、見ちがへるほどに美しい服装をして、これもにこ/\しながら現れました。
『旅の騎士、太陽の申し児のやうな勇ましい若者。あなたの不審はもつともです。』
 かう口をきつて王さまが物語るには王さまが国中でいちばん勇ましい王子を選むためにぜひ、騎士達の通らなければならない野原の寺院に、王女を住はせました。そして路には、家来の者を隠してをいて、いち/\通る騎士の数を、法螺の貝をふいて合図をして知らせました。
 王女はその合図によつて食事やら寝台やら秣桶、毛ブラシなどの用意をいたしました。
 そして王女はその夜泊つた騎士のうちから、いちばん勇ましい騎士を選んだのでした。
 ではあのまつ暗な墓地で喰べた赤児はどうしたのでせう。
 みなさん、その赤児といふのはほんとに馬鹿らしい程、お可笑なものです。それはお砂糖でこしらへた、赤児のお人形さんであつたのです。
 黒い騎士はその日、りつぱな式があつてめでたく王子の位についたのでした。(大15・9愛国婦人)

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或る手品師の話

 老人の手品師が、河幅の広い流れのある街に、いりこんで来たのは、四五日程前でした。
 手品師は、連れもなくたつた一人で手品をやりました。
 ――はい、はい、坊ちやん。嬢ちやん。唯今この爺《ぢ》いが、眼球《めだま》を抜きとつて御覧にいれます。
 手品師は、両手で右の眼を押へて、痛い痛い、と言つて泣きました。
 それから手品師は、はつと気合をかけて、眼から手を離すと、驚いたことには、手品師の眼は抜きとられて、右の掌《てのひら》の上に、眼の球がぎらぎらと、お日さまに光つてゐました。
 ――やあ、眼球《めだま》だなあ。
 ――驚ろいたなあ、本当の眼球《めだま》だ。
 見物の子供達は、驚ろいてしまひました、ところが、手品師の掌の上の、眼球をだんだんとよく凝視《みつめ》てゐると、これはほんものの眼球ではなく、ラムネの玉ではありませんか、見物人が呆れてぽかんとしてゐると、老人の手品師は、
 ――あははは、みなさん左様なら。
 かう言つて、そのラムネの玉やら、赤い手拭やら、鬚の長い綿でつくつた人形やら、剣やら、様々の手品の種のはいつた、大きなヅックの袋を、やつこらさと背中に担いで、さつさと次の街角に行つて了ひました。
 手品師は、街角から、街角に、歩るき廻つて手品をやり、夕方疲れて宿に帰るときには、この街の街端《まちはづ》れを流れる河岸に、かならずやつて来ました。そしてこの河岸の草の上に、足を伸ばして、一日の疲れを河風に吹れました。
 手品師の宿といふのは、それは汚ならしい小さな家で、小さな室《へや》に、六人も七人ものお客さんがあつて、重なり合つて眠らなければならない始末ですから、それよりもかうした奇麗な水の流れを見て、涼しい河風に吹れて休んで居た方がいゝと思つたのでした。
     *
 ある日、この老人は、ごほん、ごほん、と続けさまに、たいへん咳が出て手品の口上も述べることも出来ないほどでした。
 それに体がだるくて、手足がみんなほごれてしまふのではないかと、思ふほどに疲れを感じましたので、手品を早くきりあげて、いつもの河岸の河風に吹かれたなら、少しは気分が治るであらうと、河岸にやつて来ました。
 そして、手品の種のはひつた袋を、枕にして寝ころび、青空をながめました。
 するとその日にかぎつて、ついぞ思ひ出しもしなかつた、友達の事やら、若いときに死に別れをした妻のことやら、天然痘で死んだ可愛い子供の事やら、これまで旅をしてきた数限りない街の景色の事やらが、つぎつぎと頭に浮んできました。
 ――わしの一生にやつてきたことをみんな思ひ出さうとするんぢやないかな。
 手品師は、急にさびしくなつてきたので、かう独語《ひとりごと》をしてむつくり起きあがりました。
 そのとき河の上流から、それは細長い格
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