眼をつぶることを拒む、
生きてゐても安眠ができない、
死んでも溶けることを欲しない、
人々は古い棺ではなく
新しい棺を選んで
はじめて安眠することができるだらう。
太陽と月は、煙にとりかこまれ
火が地平線で
赤い木の実のやうに跳ねた。
あゝ、夢は去らない、
びつしよりと汗ばみながら
いらいらとした眼で
前方を凝視する。


日本の夢と枕の詩

誰もお前を愛さないとは言はない
「日本よ」寝起きの悪い子供であるお前を
誰が突然ゆり起したのか、
父でもなく、母でもなく
お前自身の中の夢がお前の枕を蹴つた
そのためにお前は一日中不機嫌であつた
語れ、幼児よ、心の中の秘密を――、
卑屈でもなく、臆病でもなく、深い掘割や
流れを危なげもなく、進む、自信に満ちた、
小さな旅立ちの行手に、お前は何を発見したか、
それを語れ、何を失ひ、何を得たか、
何を得て、何を失つたか、
はじける声と、すゝり泣きと、重いうめきを
出発するお前の、背後に聞きはしなかつたか、
生長するものが犯す冒険や
未知の世界を探る冒険を
お前の両親はおそれはしないだらう、
たゞ旅立つことが突然で
お前の追ふものの正体が不明であることだ
その上、お前は少しも後を振返ることをしない
停まらぬローラースケートか、
火の靴を履かされたやうに駈け去つた、
がら/\と音をたてゝ道路の上を――、
シュッ、シュッと音をたてゝ川の中を――
父親は悔いてゐる
寝てゐる床にお前の心の中の黒い夢が
大きくなつてゐたことに気がつかなかつたことを
母親も悔いてゐる
どうしてもつとあの子の枕を
しつかりと押へておかなかつたかを――、
誰もお前を愛さないとは言はない
お前はとつぜん抱擁の時を
ふりきつて遠く旅立つたゞけだ。

雲は星を掩ひかくして
夜の街を真暗にしてしまつた
悪い夢に加担して月まで忠実に欠けた
たくさんの褐[#右下の部分は「蝎」の右下部と同形]色の梟が降りて街角に立つた
彼等は精一杯羽をひろげた、
息子よ、お前が旅立つた後の街の様子は
曾つての日の美しさを全く失つた、
風は季節、季節にやつてこなかつた、
そして警笛が花を散らした
あるゆる自然なことや
不自然なことが灰のやうに降つた
人間が荒廃するかのやうであつた
間もなく不安は去つていつた
だが息子は戻つて来ない、
すぐ明日にも元気で帰つてくる、
或はお前のかはりに「永遠」が帰つてくる
前のものはお前の生きた肉体で
後のものであつたら父親のものでも
母親のものでもない「自然」のものだ、
愛は過度の悲しみの中では溺れるばかりだから、
人々はいつまでも悲しむことをしないだらう、
苦い運命が国民に見守られてゐる
生命が人々の前を素早く横切ると
つゞいて黒い猫が電気より早く駈けぬける
時が生命の影を捉へようと
追ひかけてゐるかのやうに――、
歴史もなく、自由もなく
たゞ眠りと食事と
前へ歩るきだすことゝ
急に駈け出すことゝ
にぶく反響する音と、人間の叫びのみ、
破廉恥な叫喚によつて
暁の花は目ざめ
無気味な沈黙によつて
山は眠りに陥る
獣は爪の長いことゝ
牙の鋭いことを競ひ合ふために
夜となく昼となくこの辺りを彷徨する
息子をのせた黒い夢も彷徨する
人にむかつても、自然にむかつても、
また政治にむかつても等しくその黒い祈り、
灰色の歌によつて行手は満たされてゐる、
不用意に朝は明け放された
こゝに父親は坐つてゐる
そのとき息子は遠くを歩るいてゐる
母親は意味もききとれないことを呟いてゐる
やがて息子が元気に
帰つてくる日を想像してゐるのだらう、
歴史の附添人が
黒いマントを着た息子と一緒に
親達の戸口にやつてきた
そして附添人は去つてしまつた、
「あゝ、待つてゐた息子が帰つて来た――」
両親はさう叫んで抱擁した
だがマントの中には息子の体がなかつた
息子でなく、夢の枕も捨てゝきた、
しよんぼりと立つてゐるのは
黒いマントであつた、
平安と喜悦の一瞬間は風が運び去り
不安と悲哀とがいり《ママ》替りにやつてきた、
遠い運命を、あまりにまざまざと
人々の近くにそれを見た。


暗い恥知らずな運命

いつから泣くことを忘れたのか
恥知らずな運命が
いつも私の生活の巡りを
うろうろしてゐて
時折悪い犬のやうに
現はれては
私に噛みついて逃げていつてしまふ、
そのとき心から悲しみ泣いた、
だんだんと悪い運命と
こいつの廻しものを
憎むやうになつてから
私は悲しまなくなつてしまつた
いまでは素晴らしく
豪侈に憤ることを
楽しみにし始めた、
天井から飾燈《シヤンデリヤ》が音響たかく
硝子の破片を散らして
落るときのやうに
私は怒りたい、
それは美しい瞬間で
眼をうばふほどのものだ
暗い恥知らずの運命よ、
もうお前は私に
勝つことが出来ない
私は思想に
落下する重
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