、
武士は腹を立てゝ大刀抜き放し、
百姓雑兵に切りかゝると
雑兵は田舎仕込の太い腕で
松の木引つこぬいて
ぶんぶんふりまはして
武士を追ひつめ首を横取りしてしまふ、
こんな調子で味方の武士の
首を横取りしては済ました顔、
おのれの名誉のためにも
百姓雑兵に首を横取りされましたとも言へないので、
泣寝入りの武士が恨めしさうに
大将の前に雑兵の差出す首を
横眼でみてゐる、
いまでは陣中では
首の横取り百姓雑兵と
もつぱらの評判、
陣中では知らぬは大将ばかりなり、
百姓雑兵は、いつたい戦にかけて
強いのか弱いのか、
武士たちはいくら考へても判らない
百姓雑兵はいつものやうに
夢現つに銅鑼の声をきゝながら
次の戦にも林の叢で昼の間は寝てゐた、
そろそろ味方が首を獲つて帰る頃だと、
やをら立ちあがつて
辺りを見まはすと、
どうしたことだ、
戦場には味方の胴体ばかり
ごろごろ転がつてゐて、
その格好は
どれもあまり行儀がよくない、
味方は全滅
大将もとつくに首がない、
――いくさべイ終つただか、
それだば大将さまも
もう首いらねいだべ
やれやれ、村にけいつて
いもでも掘つくりかえすべいか、
と傍の馬にひらりとまたがつて
百姓雑兵はとつとつと村へ引あげてゆく。
飛ぶ橇
――アイヌ民族の為めに――
1
冬が襲つてきた、
他人に不意に平手で
激しく、頬を打たれたときのやうに、
しばらくは呆然と
自然も人間も佇んでゐた。
褐色の地肌は一晩のうちに
純白な雪をもつて、掩ひ隠くされ
鳥達はあわただしく空を往復し、
屋根の上の烏は赤い片脚で雪の上に
冷めたさうな身振りでとまつてゐた、
そして片足をせはしく
羽の間に、入れたり出したりしてゐる。
きのふまで樹の葉はしきりに散りつづけ、
寒い風は、海から這ひあがり、
二十数戸の小さな漁村の
隅から隅まで邪険な親切さで
――わしはもう明日から秋の風ではないよ
わしは明日から冬の風だよ、
とふれ廻つた、
村の人々は風の声を聴いた、
街の祭日が終つて、
見世物小屋の大天幕を取り片づける時のやうに
華やかさの後に来る、寂寥さをもつて
めいめいが河岸へ降りてゆく
積まれた焚木の上に厚いムシロをかけたり、
村の背後の林の中から
細い丸太ん棒を引きずりだしてきたり、
自分の小屋の倒れかけた壁へ
その丸太をもつて倒れないやうに支へをつくる、
子供の習字の紙を小さく切つて、
部屋や、物置小屋の窓といふ窓へ目貼りをして
風と雪との侵入に備へた。
2
これらの冬の準備は、北国の人々の敏感さで、
金のある者は有るやうに、
金のないものは又無いやうに、
それぞれの予算の中で
非常な素早さをもつて手順よく行はれた、
全く貯へのない家では
河岸から板切れを何枚も
拾ひ集め、ムシロを集め
いらだちながらそれらの物を手当り次第に
釘をもつて家の周囲に打ちまくり、
林の木の葉の
最後の一枚が散りきつたと思ふときに
空は急に低くなつたやうだ、
そして周囲は急にシンとしづまつた。
その静けさは、長い時で三日、或は一日つづいた、
短いときはほんの数秒間、
不意に咽喉をしめつけられたやうに
村の人々が呼吸をとめた、
そのしづけさに耳を傾けて聴き入つた、
村の人々は立つたり坐つたり
家の戸口に出たり入つたり落着かない、
馬車挽はそはそはと幾度も
馬小屋の馬を用もないのに覗きにゆく、
この天地の静けさが極度に達したと思ふと、
海から、周囲の山蔭から、
数千の生き物が、手に手に
木の杖をもつて、コツコツと土を突いてやつてくるやうな、
ざわざわといふ、ざわめきが遠くにきこえ、
近づいてきた、
この得体の知れない主が
村を一眼に見下ろすことのできる
山の頂に辿りつき
これらの生きもの達は、不意に叫びをあげ、
村の上にその重い大きな胸をもつて倒れかかつた、
人々はハッと思ふと、もうこれらの群の姿はない、
ただ山といはず、野といはず村といはず、
すべてを掩つて白い雪のマントを
拡げて立ち去つた、
人々は始めてホッと長い長い溜息して
たがひに顔を見合せる。
3
雪が来ると、この最初の雪は愛撫の雪、
山峡の村は一時ポッと暖くなり、
寂しい秋を放逐してくれた新しい
冬の主人を迎へたやうに瞬間感謝の気持になる、
村の娘たちの頬ぺたに朱が加へられ、
毛糸の青い手袋で、こすればこする程
頬は林檎のやうに赤く可愛くなつた。
寒気がつのつてくると娘達の頬は
こんどは紫色にかはつてくる、
水仕事や、薪切りや、父親が山から炭を
手橇で村まで運びだす後押しをしたり、
娘たちはさまざまの生活の
ヒビ割れが手や頬にできる、
漁師たちは冬がくれば杣夫になり
春がくれば百姓が今度は漁師にかはる
漁師はとほく牧草刈に行つたり、
木
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