材流しに雇はれたり、
樺太に住む人々は殖民地生活の
特長ある浮動性に
あるときは南端の鰊漁場から
北端のロシアとの国境の街まで生活を移してゆく、
――今度何々村に王子の製紙工場ができるとさ
――ぢや行くべ、こんな村さ、へばりついてても何にもならんでよ、
――そうだ、そだ、出かけべ、
  何か仕事あるべよ、
――あゝ、あるとも、角材出しでもなんでもな、
  うんと越年《をつねん》仕事に儲けてくるべ、
人々はすぐ共鳴してしまふ、
幾つかの行李を発動機船の胴の間に投りこみ、
幾家族かは北へ指して村を去つてしまふ、
――国境さ、兵隊さん越年するとさ、
――それだば、でかけて軍夫にでも雇はれべいか、
――さうするべ、
馬が立髪をふつて
嫌だと足をじたばた踏むのにお構ひなしに
小屋から橇を引き出して
馬の首の鈴をチャンリン、チャンリンと
鳴らしながら橇の一隊は
海伝ひに数十里の雪の路を
国境の街を指して行つてしまふ、


    4

『偶然そこに住む事になつた土地土地の
 人間の風習に苦もなく染つてゆく
 露西亜人の風習』――と
ロシアの詩人は歌つた、
樺太の人々の風習もまたそれに似てゐた、
その性質の嘘のやうな柔軟性
その生活への素直な順応が
良いことか、悪いことか人々は気づかない
北国庁の役人や利権屋たちは
政治的激動の中心地
東京へしつきりなしにでかけてゆく
だが村へは日刊新聞を十日分づゝ
帯封にして月に三回だけ配達される、
植民地拓殖政策が
一束にして投じられる、
だが池の中心の波紋が
岸まで着かない間に消えてしまふやうに
中央政府の政策がどうであらうが、
雪に埋もれた伐木小屋の
人々にはなんの興味も湧かない、
政変があらうが人々は
ものゝ半日もその話題を続けない、
村の河へ鮭が卵を生みに
のぼつて来たことがもつと大切であつた、
しかし時代の反映は色々の形で現れる
北海道へ出稼ぎに行つたアイヌ人の
イクバシュイ日本名で『四辻権太郎』
村へ帰ると彼の様子が変つてゐた
彼は人々の前に突立ち
どこかに隠してゐたアイヌ人の
民族的な激情性をぶちまけて
――シャモ(和人)たち、
彼はさう叫んで節くれ立つた握り拳で
かなしげに鼻の頭を横なぐりにこすり、
――シャモ、おら社会民衆党さ入つたテ、
  アイヌ、アイヌて馬鹿にするな、
  アイヌも団結すれば強いテ、
人々はどつと声を合して笑つた
権太郎は人々の軽蔑の笑ひを聴くと
一層悲しげな声をし
両手をもつて幅広い胸を抱えるやうにし、
その胸を天にまで突きあげようとする
はげしい、だが空しい意志を示しながら
――シャモ、おら、社会民衆党さ入つたテ、
と同じことを何時までもくどくどと繰り返し
人々が全く笑はなくなると
権太郎はフイと小屋を立ち去つて行つた。


    5

人々はアイヌの後姿を見送つた、
滅びゆく民族の影は一つではなく
いくつも陰影が重なりあつてみえるやうに、
彼等の肩や骨格がたくましいのに
妙にその後姿がしよんぼりとしてみえる
権太郎は戸外にでゝ
雪の中をとぼとぼあるく
小屋が見えたとき彼はピュと口笛を吹いた、
すると小屋の板戸は激しく
バタンと音して開き
中から一団の生物の固まりがとびだし
疾風のやうに路をとんでくる、
十数匹の犬の群があつた、
彼等はなんと走ることが巧いのだらう、
それは走つてゐるのか踊つてゐるのか判らない、
それほど犬達は美しく身をくねらし、
かぎりない跳躍のさまざまな形をみせて、
権太郎へ近づくと
主人に甘えながらクンクンと叫び
犬たちは崖へ駈けのぼる時のやうなはげしさで
権太郎の足さきから一気に
胸まで駈けあがり主人の眼といはず
鼻といはずペロペロとなめる、
――こん畜生奴、やめろテイ
彼は身を横にふる、
だが彼の顔は笑つてゐる、
三つの生物の親密の度合が
雪の中に高まつてゆく、
そしてあらゆる静かな周囲の世界の中で
もつとも動的なものとして動いてゐる。


   6

犬達はふざけ合ひ巧みに
歩るいてゆく主人の周囲に円を描きながら
小屋へ近づくと権太郎はホウホウと、
大きな手をひろげ犬の群を追ふ
すると犬達は犬小屋へ去つてしまふ、
アイヌは重い小屋の戸に手をかけ
扉をひきちぎるやうに開く
戸の一端に縄で吊り下つてゐる
大きな鉄の分銅がガタンとあがり
権太郎が入つてしまふと分銅は
戸をしぜんに閉めてくれる
空が晴れてゐるのに強い風が吹いてきて
風が崖下の村へ雪を吹雪のやうに吹きつけ
海は轟々と鳴り岸の結氷は
ギシギシと音鳴り氷が着いたり離れたり
絶えまない氷の接触に
どうしても聞き分けることのできない
人間の声のやうに呟ぶやく、
鈍重な氷のうめきは断続し
時々積まれた空瓶が崩れるやうな
明るい音響をたてる、
その音響は空白な
衝動的な笑ひのそれに似てゐ
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