影を見給へ、
私もそれを見よう、
君の父の死は、
曾つて歴史に現はれたことがない
新しい死のタイプだ。
ソビヱットに反逆する人々を
我々はギロチンの上へおくる。
そして貴重な生命を断つ――。
人間を死に導く権利を
いまほど正しく行使することが出来る時代が、
人類の歴史が始まつて以来あつたか?
そこでは物盗りを死刑するやうにではない、
強姦者を処刑するやうにではない、
新しい階級的犯罪に
新しい死のタイプを我々が与へるのだ。
友よ、君は父の死を解決せよ、
雲の中の、追想の糸を断ちきれ、
理解しろ、ソビヱットのあらゆる事件を、
操縦士
ドミトリー君、
親切な友よ、
だが、すでに遅い、
私の操縦士は、破れた胸から
二つの翼をひきだしたのだ、
精神の均斉のない鳥が
どうして満足に自分のネグラに帰れるだらう。
思つても私は怖ろしいのだ、
軍隊では上から下まで
厳罰主義でつらぬかれてゐる。
笑ひながら上官は部下をうつ、
部下は笑ひながら打たれる、
あいつらの苦痛の性質がまるでちがふんだ。
なんといふ理解しがたいことだ。
機関士
力尽きた鳥よ、
聴け、発動機の音を――、
お前の咽喉は異様に鳴つてきた。
のぞいてごらん、
ガソリン検量器を、
あゝ、まもなくガソリンは尽きるだらう。
帯のやうに白く見えるウスリイ鉄道、
沿線の街々よ、
イマンの街よ、
プロハスコよ、
ウスリイよ、
クラヱフスキイよ、
街・街よ、空を漂泊する我々の
よろめく足取りに驚ろいてくれるな
露満国境の線を縫つてとぶ、
千鳥足の苦悶を、あざ笑へ、
ソビヱットから平穏を
急速にのぞむものが、次々と現はれる
新しい苦しみの登場に堪へなかつたのだ、
そして陥るところの心理的空白の路
またはソビヱットに対する
一面的狂信主義者がたどる幻滅の路、
これらの人々の路はこゝの国境に展けてゐる。
操縦士
赤い土地から、白い風穴へ、
おちこんだ私だ、
北から南へ押しながされる私だ。
ヨーロッパや東洋は私を歓迎するだらう
其処では私の脱落者は、賞讃されるだらう、
ソビヱットを語れといふだらう。
唇が足まで垂れ下つた
鉄の妖怪の正体を語れといふだらう。
新聞記者は私達を取り囲んで
一日に黒パンを幾ポンド支給されるかとか、
強制労働は苦痛だらうとか、
常識的な質問をし
私はこれに常識的な答をするだらう。
ソビヱットの苦痛は
黒パンの量や、強制労働や、
隊の規律にあるのではない。
もつとふかい人間的な処に
あることを知らない人々にとつて、
私の脱走は、ついに理解されることはないだらう。
機関士
君の心の中の浚渫船、
古い泥の掻ひ出しの仕事を停めた、
瞬間、君には寂寥がきた、
時代は青年のものだ――とレーニンは言つた。
だが今ではその言葉も古い、
ソビヱットではすでに
時代は少年のものとさへなつてゐる。
ピオニールの若々しい歌声と
旗をもつた隊列の
なんといふ元気なことよ、
これらの少年たちには古い苦痛がない、
すべて新しいところから出発し、
新しいたたかひに入つてゆく、
ワフラメヱフよ、
君は古さと新しさとの
激動の世界に住むことに敗れた。
操縦士
私はやぶれた。
ドミトリー君よ、
だが君は敗れてはゐない――。
君は私の脱落の同伴者とならうとする、
私の理解しがたいことだ――。
君はとどまれ、
君にとつて輝やかしい祖国へ、
それがもつとも正しい路のやうに思ふ、
君は東洋やヨーロッパが
どのやうなところか想像してみ給へ、
そこにはソビヱットのやうな苦痛がない、
私の求める平穏がある――。
死の平穏が――。
機関士
そうだ死の平穏が――。
底には激しい動揺の苦痛が、
私はそれを怖れないだらう。
私は国境を守備するものだ。
同時に、国境を無視するものだ。
私は君とともに幾つでも国境を越えて行かう。
君は知つてゐるだらう、
ドン地方のコサック騎兵たちが
外国へ亡命したことを、
彼等は二十三人で合唱団をつくつた、
彼等はヨーロッパの街々を
オレグ公の歌や、
赤いサラファンの歌を、
今でもかなしげに歌ひ漂泊してゐる、
君と私も彼等のやうに
幾アルシンかの羅紗を二つに分けて
肩に背負つて港々を漂泊しよう、
ヨーロッパや東洋の人々はいふだらう。
あそこに祖国を失つたものが、
惨めな人間の見本があると、
それが真実だと――。
それは真実にはちがひない
ただ我々の真実であり
ソビヱットの真実の、全部ではないだらう。
操縦士
ドミトリーよ、
こゝはもう満洲国だよ、
光つてゐるのは、
興凱湖だらう、
私は理解しがたい君の愛情を乗せたまゝ、
私の白鳥は羽を湖の上に降さねばならない。
機関士
友よ、私に遠慮なしに湖に羽をおろせ、
私の愛は永遠にして
国境を越えることを恐れない、
曾つて古いロシアで
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