して彼等と接吻を
した瞬間に彼等の舌を
噛み切ることを決して忘れるな。


決して淋しがるな

私は空想する力を信じてゐる
もつとも強度の空想を――、
健全か、君の思想は
それでは君は
高い塔の上から飛び下りて
自殺してしまふ力も
湖水を一文字に
ヨットの快速力で横断する
行動力もあるだらう、
俗に超自然と
名づけられてゐる行為も
君は為しとげなければならない、
夢見よ、
夢と現実との区別を
忘れてしまへ、
人間は階級に捧げられたものだ、
槍の上の我等の首は
尚且つ敵を睨む力があるだらうから、
最後に於いても
最大の精神の凝固をもつて
敵に当れ、
ましてや我々は
生きたる肉体の力を
決して過小評価してはいけない、
あらゆる涯まで
戦ひの精神を飛ばせ、
肉体を酷使せよ、
そして悔えるな、
たたかひの歌を
人間が聴いてゐなくても失望するな、
ミソサザイ許りが聞いてゐても
決して淋しがるな。


私の事業

物の黒白を見極めようとして
あまりに眼が
動揺してゐる、
事情が切迫してゐるから
私は急速に
私の立場を極めなければならない、
然しそんなことは不可能だ、
私はただ素直に
生活を泳いでゆかう、
根気よく、
長い間かゝつて
私自身の階級を説明してゆかう
あゝ、私はやつとの思ひで
生活は疲れてはゐるが、
生活から倦怠だけは
追つ払つてしまふことができた、
それはすばらしい事業であつた、
仕事はいま始まつた許りだし
労働者を啓蒙するなどといふ
大それた自惚を私はもつてゐない、
労働者にむかつて
話しかけるとき
もつとも臆病に細心になる、
そして彼はまるで私と反対だ、
彼は労働者にむかつて
自分の立場を説明し切らずに
威猛高に階級のことを説得しようとする、
思想のチグハグな人間は
一方の肩を
きまつてそびえさせるものだ、
私にとつては
平原のかなたから
嵐のやうな幸福や自信が
襲つて来るのを待つてはゐない、
襲つてくるもの――、
それは嵐のやうな
はげしい自己反省である。


子供のやうに歌ふ

私は最大にわが儘に歌つてゆかう、
人々はみんな我儘をしたいのだから
私はその見本帳をつくつてゆかう、
批評家は私の我儘に
やきもちを焼いたらいゝ、
私が失策したとき
私が没落したとき
オーケストラは一斉に鳴れよ、
私は人喰人種から
一足とびにプロレタリアートになつたやうに、
私はあらゆる本能的なものを利用するのだ、
私は単純で哲学的でないといふ、
私の哲学は――、
犬に喰はれてしまつた、
若し、私の哲学を
批評家よ、君は探し出したいならば、
脱糞するところまで、
犬のケツを尾いてあるいたらいゝ、
われらは単純で直裁な路を
虎視眈々と
ねらふ群集の一人として
光栄あるマークを胸につけてゐる、
あゝ、クン章よ、マークよ、
胸のものよ、
私は子供のやうにそれを誇つてゐる、
一日よ、
朝のすがすがしさと、
夕焼の美しさよ、
バイオリンと
セロの取つ組み合ひよ、
感動もつて私の一日は高鳴る
私は君達に合唱する
我儘と自由は
我等にとつて同意語であれ、
私の我儘の見本帳は
まだまだ薄い。


お前可愛い絶望よ

絶望よ、
お前が襲つてくるときは
実に美しい、夕陽のやうにきれいだ、
マリヤーピンの絵の色のやうに赤い、
激動を伴ふからお前は綺麗だ、
強烈だからお前は美しい、
すぐ死を考へることができるから嬉しい、
そして地球は広いから
絶望のために七転八倒して
くるしんでも私は邪魔にならないだらう、
絶望よ、お前はさまざまな姿で
私の処へ、毎日でも訪ねてきておくれ、
私は歓迎しよう、
私はお前が訪ねてくるたびに
死を考へ、生を考へ、
そして私はこの二つのことを
こころから歌ひつくして悔恨はない、
お前がやつてくると私は怒る、
そして敵といふものの正体をはつきり見る、
私の中の敵、
敵の中の私、
混んがらがつた敵味方の中から
絹の布をピリリと引きさくやうに
敵の部分を引きちぎることができる、
私は絶望を大変可愛がつてゐる人間だ、
龍よ、お前と私とは闘はう、
誰だ、
私と龍との間に
なまじつかな人間が仲裁に入るのは、
私はシヱ[#「ヱ」の小文字]クスピアの「リヤ王」のやうに
――龍と怒りの中に入るな、
と私のたたかひの本能に
水をさす者を罵しるだらう、
敵と私との間にゐるものは絶望よ、
お前はどんなに私をふるひたたせるだらう、
私の怒りは塩のやうに
ナメクジを溶かしてしまひたい、
私はリヤ王のやうに憤りしやべり、
画家ゴヤのやうに髪の毛を逆立てゝ
口から泡をふいて仕事をしたい、
絶望よ、
お前は可愛い奴だ、お前をヒシと
抱き緊めるとき
私の心臓は手マリのやうに弾んでくる、
不幸がこのやうに私を激させてゐる、
呼吸《いき》を吐くべきときに吸つたり、
吸ふべきときに、息を吐いたり、
不規則な心臓の鼓動よ、
動乱の世界の私の歌うたひよ、
いつになつたら一層良い環境で
私に喜びの歌をうたはせてくれるだらう。



IV



孤独の超特急

触れてくれるな、
さはつてくれるな、
静かにしてをいてくれ、
この世界一脆い
私といふ器物に、
批評もいらなければ
親切な介添《かいぞへ》もいらない、
やさしい忠告も
元気な煽動も、
すべてがいらない
のがれることのできない
夜がやつてきたとき
私は寝なければならないから、
そこまで私の夢を
よごしにやつて来てくれるな、
友よ、
あゝ、なんといふ人なつこい
世界に住んでゐながら、
君も僕も仲たがひをしたがるのだらう、
永遠につきさうもない
あらそひの中に
愛と憎しみの
ゴッタ返しの中に
唾を吐き吐き
人生の旅は
苦々《にが/\》しい路連れです、

生きることが
こんなに貧しく
こんなに忙しいこととは
お腹《なか》の中の
私は想像もしなかつたです。
友よ、
産れてきてみれば斯くの通りです、
ただ精神のウブ毛が
僕も君もまだとれてゐない、
子供のやうに
愛すべき正義をもつてゐる、
精神は純朴であれと叫び
生活は不純であれと叫ぶ、
私は混線してますます
感情の赤いスパークを発す、
階級闘争の
君の閑日月の
日記を見たいものだ、
私の閑日月は
焦燥と苦闘の焔[#「焔」の火へんを炎にしたうえで、へんとつくりをいれかえた字、焔の正字と同字]《ほのほ》で走る、
孤独の超特急だ、
帰ることのできない、
単線にのつてゐる
もろい素焼の
ボイラーは破裂しさうだ。


月の光を浴びて

私の悲しいと思つたときに、
月がのぼつてきた、
自然は私のもの人間のもの、
なんといふお誂らへ向きだらう、
そして私の機嫌はいつぺんになほつた、
大股に歩るきながら
そして私は考へるのだ、
とにかくわれわれは
敵に憎まれる必要がある、
その必要のためにのみ
貴重な口を開け、
大事な足を前に出せ、
傍若無人の行為は許されてゐるのだ、
――傍若無人はいけない、
といふものがあれば、それは味方ではない敵だ、
退屈な月夜を
泣いて暮らすのはいゝ気分だ、
だがそれは斯ういふ時世には
少しもつたいないだらう、
我々にとつて
もつとも解放的な夜といふものは
相手を嫌がらせる歌をつくつたり
計画を樹てたりすることだ、
毎日悲しく、
毎日嬉しい、
こゝろの中はいりまじつて
まるでよごれものさ、
私はいま自分の心を
西洋流に洗濯してゐる、
東洋流に
だらだらと一日中苦しまない、
だらだらと一日中、はしやがない、
悲しみも苦しみも
じつと堪へてゐる
一週間目毎に
かためてをいていつぺん[#「いつぺん」に傍点]にゴシゴシ洗ふ、
おゝ、この美しい
月夜のために我々は
冷静でをられるか、
我々の解放の時間は
先づ自分の手によつて
自分の周囲から
つくり出さなければならないから、
立つてゐる私に月が光りと影を与へるやうに――、
あいつは頭の中では
たえず労働者をほめてゐる
でなければ労働者にコビてゐる
あいつは頭の中では
月は美しいと思つてゐる
でなければ自然への追従だ、

心では月や労働者を
美しいと思ひながらも
美しく歌ふ力のないものよ、
おゝ、君はそのために苦しむのは正しい、
我々の新しい美学を打樹《た》てるために
苦しむのは良い
だが君の苦しみは
とかく退屈へ引継がれる、


人生の雑種として

どうせ私は殖民地生れ
混血児なんだ、
お気にさはつたら
御免なさい、
理解できなかつたら
勝手にしやがれ、
私は人生の雑種として
節操がない
すべての男とすべての女の
腹の中に
私は胤《たね》をおろさう、
私の可愛い子供が殖えるやうに
私の思想をバラ撒《ま》かう、
私の無礼な性格は
私のせいではない
諸君よ、
私の父親を恨んでくれ、
私は日本酒と洋酒と
ちやんぽんに飲む、
コスモポリタンだ、
どつちの国籍に属する酒が
私を酔はしたか
お医者もわかるまい、
日本的現実も
ソビヱット的現実も
わたしにとつては区別がない、
ただ癪にさはるのは
足の立つてゐるところの現実が
私に貧乏を押しつけたことだ、
そのことだけで
私は単純に怒る、
私は酔つて頭が混乱してゐるのに、
奴は道徳的平静を
しんみり味つてゐる
良い身分だ、
海に囲まれたこの島国で
私は三十五年間
現実と和睦してこなかつた
今更楯《たて》つくことはやめられぬ
舌はもの食ふばかりでついてゐない
噛み切るためにもついてゐる、
太陽は空をうろつき
下界では
日本のアスファルト舗道を
右に左に千鳥足
私は思想のタテヨコと
嘔吐《へど》をもつて
さんざんに汚すばかりだ。


自然物に就いて

疑りぶかい眼をもつて見たから
夕闇の中に白く咲いた
おどろくべき大きさの
夕顔の白い花にも私は驚ろかなかつた、
私はこの花を平然とみてゐたとき
私の眼は白痴であつたのだ、
あらゆる事物に就いての
階級的観方といふものは
いつも単純であつていけないと考へこんでゐたから
私はいつもひがんでゐた、
あらゆる美しいものを
一応疑つてみてゐた
それは決して私の過失ではない、
私はどんなに細心と
おづおづとして
遠慮ぶかく自然や人間を見てゐただらう、
今ではすべては解決した、
自然は私に
何の犠牲的なものを要求する
権利ももつてゐないことを知つたとき
私は馬のやうに
自然の花をむしやむしやと喰つてしまふ
ことができるやうになつた、
樹よ、花よ、山岳よ、
あらゆる自然物よ、
一見厳《いか》めしさうにみえて
お前謙遜なものよ、
お前人間の生活の傍《かたはら》にあつて
たつたいまお前の上に夕陽が落ちた、
なんといふ美しさよ
私のものよ、
自然物よ、
私はお前を美しい事実として
歌ひ尽さなければならない、
歌ふとき
プロレタリアはお前のオゾンを吸ふ、
山よ、お前へ懐疑の
曳綱をつけて引つぱつたとき私は負けた
私がお前の樹の中へとびこんで
勢《ママ》いつぱい反抗を絶叫したとき
自然のあらゆる物音は私に調和した、
自然よ、お前は我々のやうに
無垢な心をもつてゐる
自然よ、私が曾つて少しでも
お前を功利的にながめたことを
ゆるしてくれ、とがめてくれるな、
お前の美は我々の本能的な眼に
依然として美しいものとして答へてくれる、
敵よりも、より多く、
お前の美しさに我々が感動するとき
お前はその時我々の好意をうける、
お前は我々の味方になる
私はお前を恋人のやうに見る、
お前のうつり変りの
はげしい感情に
我々は絶えず敏感になるだらう、
そしてお前を守るために
お前を愛するために
私は私の恋仇と私の敵と
あくまで戦ふであらう。


人魚

私が眠らうとするとき
崖の下では波音が鳴つてゐた、
そして私は眠りにおちた――、
時間が経つた。
私がふと目覚めたとき
崖の下ではやつぱり
波音が鳴つてゐた、
しかしその波は新しい波であつた筈だ、
現実よ、おゝ、私を洗ふものよ、
襲ふものよ、
お前はいつも
そのやうに新しいのだ、
波は一切のものを
鷲掴みにしようとする
真青な大きな手のやうにも見えた、
私は岸に立つて海をみながら言つた、
――波よ、
私の詩人はどうして
次ぎ次ぎと底から湧いてくる
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